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福島県富岡町大字本岡字新夜ノ森

 

陸前浜街道は、明治初期、東京府日本橋区から陸前の宮城県岩沼に至る街道に付けられた名前である。現在の東京都中央区日本橋から宮城県岩沼市に至る国道6号に相当する。

しかし、その歴史は古く、律令時代には畿内から現在の東北地方 三陸海岸までの太平洋沿岸に海道、あるいは、東海道(あずまかいどう)の名で道があり、浜街道はこれらの一部に相当していた。

古代石城国と中央政府とを結ぶ官道として整備され、現在の福島県と茨城県の県境付近には東北三大古関の一つの勿来関が設けられ、平安時代の千載集に歌としても詠まれている。

江戸時代に入ると奥州街道の岩沼宿から分岐して相馬、いわき、水戸城下、江戸を結ぶ街道として整備され、岩沼、水戸間を「岩城街道」、水戸、江戸間を「水戸街道」と読んでいた。

1604年慶長9年(1604)、幕府の命令で諸国の街道が整備され、街道の両側に松を植え一里毎に一里塚が設けられた。この地の松並木は、慶安2年(1649)、当時のいわき平藩主内藤忠興の命によって植えられ、更に正徳3年(1713)補植が行われたもの。

しかし、江戸期の参勤交代では相馬藩などに限定され、また物流も、太平洋沿岸に東廻り航路が成立していたため、街道沿いの陸路の物流より海路の方が効率的だったこともあり、他の主要街道に比べて整備が進まなかった。現在はこの地に国道6号線を横切る形で当時の松並木が残っているに過ぎない。