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福島県国見町石母田字中ノ内
鎌倉時代に石の供養塔を建てるのが盛んになったが、この石塔は、徳治3年(1308)に僧智宣が、先祖の追善供養に建立した板碑で、梵字と功徳文が刻まれている。銘文は元の帰化僧寧一山によるもので、鎌倉時代における禅密合一の思想を表現する特異なものだと云う。
地元では俗に蒙古の碑と呼ばれ、周辺は満福寺の古刹跡といわれている。
福島県の歴史散策街歩き
鎌倉時代に石の供養塔を建てるのが盛んになったが、この石塔は、徳治3年(1308)に僧智宣が、先祖の追善供養に建立した板碑で、梵字と功徳文が刻まれている。銘文は元の帰化僧寧一山によるもので、鎌倉時代における禅密合一の思想を表現する特異なものだと云う。
地元では俗に蒙古の碑と呼ばれ、周辺は満福寺の古刹跡といわれている。