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福島県大熊町小良浜

 

大熊町と富岡町の境界に境川という小川があり、この小川を挟み、大熊町小良浜と富岡町小良浜の同名の浜がある。

明応年間(1492~1501)、標葉氏が相馬氏により滅ぼされると、岩城氏が富岡を守り相馬氏と対峙した。もともと小川一つへだてて、海岸に沿ってつながっていた里なので、昔から行ったり来たりの生活だったが、この小川が一応の境界となってからは、小川の水が海にそゝぐこの浜がどちら側のものか争いが起きるようになった。

さらに困ったことに、戦さが起きるたびに、両国の境が小川を越してはるかに南に移ったり、もとに戻ったり、更に北に移ったりするため、里人たちも「ここはおら浜だ」、「ここはおらが浜だ」と争った。

やがて、長い間続いた戦も終わり、相馬の殿様と岩城の殿様が、国境をはっきり決めようということで小菅ヶ原で会い、境川から小良が浜の中間を流れる小川の線を国境ときめ、小良ヶ浜の里は両国の入会地と決めたと云う。