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福島県新地町大戸浜字南中磯塩入

 

この地は、慶応4年(1868)8月20日に、仙台藩の松山隊を中心とした部隊が、新政府軍と最後の激戦を行った地である。

戊辰戦争の際、仙台藩の松山隊は初めは仙台湾の警備に当たり、塩竃、松島、石巻に分かれ艦船の出入りを監視していた。しかし、7月初旬には、磐城方面に2小隊が派遣され、8月には松山隊全軍が相馬口に出動を命じられた。

仙台藩領南端の地の新地は、仙台藩と新政府軍との最後の戦いの地となった。仙台藩は、山手は駒ヶ嶺城を中心に菅谷、高田から丸森の旗巻峠、浜手は今泉今神方面一帯に警備を固めた。8月7日より戦闘が行われたが、11日に駒ヶ峯城は陥落した。

その後奪還作戦が行われ、浜手では亘理隊と松山隊は積極的に前進し戦ったが、折からの雨もあり、雨に弱い旧式銃での不利な戦いの中、多くの戦死者を出した。松山隊は勇戦したが、御殿岬に追い詰められ、逃げ場を失った27名が崖から海に身を投げるなどして戦死し、松山隊の小隊長鈴木市郎左衛門は、大戸浜の観音寺で自刃した。

結局、仙台藩は同年9月戦いを止め降伏した。