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福島県いわき市東田町…出羽神社裏

 

別名:汐谷城、妙見館

いわきに伝わる安寿と厨子王ゆかりの地と伝えられる。

丹後の国の山椒大夫の元で酷使させられていた厨子王は、姉安寿の手引きで逃げて京に上った。数年後、18歳の時に名も政隆と改め、ついに一家没落の経緯を朝廷に奏上し、政隆は父を討った逆臣の追討を朝廷に願った。政隆は兵3千を与えられ、その兵を引き連れて岩城の地に戻り、遂に逆臣たちをこの塩谷城で討ち取ったと伝えられる。

いわき地方の各所は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、下野の小山氏が地頭をつとめ、結城氏や上遠野氏、菊田氏は小山氏の一族になる。塩谷城は菊田太郎美直が居城としていたとされるが詳細は定かではない。菊田氏は小山氏とともに南朝方として戦ったが、その後、小山氏は滅亡し、菊田氏は上遠野氏と同様に、岩城氏に飲み込まれていったものと考えられる。