福島県いわき市小名浜辰巳町

 

小名浜港は、石田三成がこの地を訪れた際に、「この地は良港になるだろう」と語ったと伝えられる。江戸期には徳川幕府天領であり、延亨4年(1747)に幕府代官所が設けられ、納付米の江戸向積出港として整備された。安政2年(1855)、この地で石炭が発見され常磐炭鉱の開発が始まり、明治から戦前までは石炭の積出港として整備されてきた。

近年は、重化学工業を中心とした臨海工業地帯の物流拠点港湾として整備が進み、平成16年(2004)4月には、5・6号埠頭が供用開始され、現在8つの埠頭が供用されている。東北南部の物流拠点として、現在、中国航路と韓国航路が就航しているほか、東京港でコンテナ母船に貨物を積み替え東南アジアや欧州に接続できる内航フィーダーサービスが開始されている。

また、1・2号ふ頭は、魅力あるウォーターフロントを創出する親水緑地空間として再開発され、いわき市観光物産センターや海洋科学館がオープン、さらに、既存倉庫を活用した飲食・物販施設などが整備されている。

慶応4年(1868)5月、戊辰戦争の際には、この小名浜港に榎本艦隊が寄港し、千葉木更津の請西藩主の林忠崇(ただたか)ら百名程の幕府軍が上陸した。この数日前、この地に隣接する北茨城の平潟港には、上野戦争で幕府方として御旗にされた「輪王寺宮」が上陸していた。

林氏は、かって徳川家の先祖が落ち延びた際、兎の吸い物でもてなした故事から、将軍家の新年の挨拶の際には一番に杯を頂く家柄だった。林忠崇は、旧幕府遊撃隊のメンバーの要請に応じ、徳川家復興のため、幕末300余藩の中で唯一藩主自ら脱藩という手段を取りこの地にいたった。

遊撃隊は、小名浜にしばらく滞在し、その後磐城平藩の安東信正や仙台藩総督の求めに応じ、湯本近くの湯長谷を屯所として、平潟に上陸し磐城平に向かう新政府軍と戦いを重ねることになる。

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