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福島県いわき市勿来町

 

勿来の地は、律令時代に奥羽三関の一つの勿来関が設置された地で、「勿来」とは「来ル勿レ」、つまり「来るな」という意味であると云い、蝦夷の南下を防ぐ意味を持っていたとされる。律令制の令制国では、当初は石城国であったが、数年で陸奥国に編入された。

常陸国との境界付近は断崖となっており、この難所の陸奥側に位置したことから、関東地方の武士たちから重視され、源義家もこの地に立ち寄っている。

勿来は風光明媚な地でもあり、源義家の「吹風をなこその関とおもへども・・・」の和歌をはじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、おなじみの歌人も和歌に詠んだ歌枕の地でもある。そのためか、飛鳥井雅宣、西山宗因、徳川光圀、吉田松陰などの文人墨客がこの地を訪れている。

平安時代から戦国時代までは岩城氏の領土の南端で、江戸時代には磐城平藩の領土の南端であった。古代から中世までは、東(あずま)海道が通り、江戸時代には、水戸と磐城、相馬、仙台をつなぐ浜街道が通っており、この地には関田宿という宿場町が形成されていた。奥州街道とともに関東から奥羽への要路であり、戊辰戦争の際にも、新政府軍はこの地のすぐ南の平潟に上陸し、平城へ進軍し、この地でも戦闘が行われた。

明治3年(1871)、廃藩置県で磐前県となり、その後の明治8年(1876)福島県に編入された。昭和29年(1954)に勿来市となったが、その後昭和41年(1966)、大規模合併でいわき市勿来町となった。