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福島県いわき市平字薬王寺台…松ヶ岡公園内

 

この地の愚庵邸は、平出身の天田(あまだ)愚庵の京都伏見桃山の旧居を、昭和41年(1966)移築し復元したもの。

天田愚庵は、安政元年(1854)7月、磐城平藩士の甘田平太夫の五男として平城下に生まれ、幼名を久五郎と言った。慶応4年(1868)、15歳で戊辰戦争を戦い、その出陣中に父母妹が行方不明になった。以後20年間、肉親を探して全国を巡った。

その間、天田五郎と名を変えた愚庵は、山岡鉄舟の知遇を受け、また一時、清水次郎長の養子となった。この時期に「東海遊侠伝」を出版し、その後の次郎長ものの種本となった。

明治20年(1887)34歳の時に仏門に入り、明治25年(1892)、京都の清水に庵を結び「愚庵」を名乗った。漢詩に異彩を放ち、万葉歌人として優れ、正岡子規に大きな影響を与えたと云う。

明治37年(1904)1月、京都伏見桃山のこの庵で享年51歳で没した。