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福島県いわき市勿来町関田須賀

 

勿来海岸は、岩と砂浜がおりなす美しい海岸で、現在は海水浴場となっている。

戊辰戦争の際に、この海岸を退却する同盟軍に対し新政府軍の富士山丸が艦砲射撃を行った。逃げ遅れた同盟軍の兵達は、その激しい砲撃に一時死を覚悟した。しかし、たった一人残り機をうかがっていた平藩の砲兵が放った砲弾が、富士山丸に着弾し船の機関部を損傷させた。さらに放った第二弾は、富士山丸に積んであった砲弾に誘爆し、富士山丸は砲撃をやめて平潟へ退いたと云う。

この海岸を中心にして、この地方には各所に鮫の伝説が残る。

昔、いつ頃からか、この松川沖に一匹の巨大な鮫が棲みついた。その鮫は真っ黒で、背中には海苔が生え大きな磯石のように見えた。時折、沖から波打ち際に姿を現すことがあり、紫肝の人間を好んで食べたという。船からいっせいに手ぬぐいを海に向かって投げ、沈んだ手ぬぐいの持ち主は紫肝だとされ、鮫の生贄にされることもあったと云う。

土地の漁師たちは恐れながらもこの鮫を大変敬い、「松川様」と呼び、この「松川様」が姿を現すと酒やご馳走をささげ、何事もなく退散してくれることを願ったと云う。

この「松川様」は、年に一度、菊田浦から川を遡り、御前淵と呼ばれるところに移り住んだ。このことから、この川の名前を鮫川と呼ぶようになったと云う。