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福島県いわき市平字古鍛治町

 

岩城重隆の妻 松堂院は、この地の岩城氏の居所であった「荷桟の屋舎」で没し、その折、この屋舎をそのまま精舎とし松堂院と号した。

寺紋は岩城氏の紋の「日之丸脇立二引紋」で、また裏紋の「日之丸中立二引紋」の両紋の使用を許された。江戸時代になると、この地には岩城氏に変わり鳥居氏が入ったが、徳川家光から寺領五石の朱印状を得た。

岩城重隆には男子は生まれず、伊達晴宗に嫁いだ娘の久保姫の長子鶴千代丸を跡継ぎとした。岩城重隆と松堂院の娘と思われるこの久保姫は、笑窪のある美女として評判であったといい、当初は白河結城家への輿入れが決まっていたものを、その輿入れ当日に伊達晴宗が略奪したとも伝えられる。

当時の岩城氏は、相馬氏や田村氏と抗争し、伊達氏、葦名氏、佐竹氏との間で外交戦略を駆使し生き残りを図った。伊達氏より鶴千代丸(親隆)を迎え家督を譲り、その正室に佐竹義昭の娘を迎えた。しかしその親隆は病に倒れ、岩城氏はその家中の主導権を佐竹氏に握られることになる。