福島県いわき市平字薬王寺台…松ヶ岡公園内

 

松ヶ岡は、平城南側すぐのところに位置し、戊辰戦争の際には、平城の出丸的な役割を持ち砲台が置かれた。

慶応4年(1868)6月16日に平潟に上陸した西軍は、破竹の勢いで北上を開始し平城を目指した。西軍は6月29日には湯長谷を奪い、また列藩同盟軍の混乱の中小名浜に上陸し、7月1日には平城の間近に迫った。その間、列藩同盟側はこの地への二度にわたる西軍の攻撃を退けた。

しかし同盟軍にとって戦況は日に日に悪化していた。白河口と棚倉城は西軍の手に帰し、同盟側諸藩は動揺していた。そのため同盟側の作戦遂行は統一性を欠き、西軍の平城攻撃を前にして、米沢藩が城外に退去するなど齟齬をきたしはじめていた。

7月13日、西軍は兵を整え、三方向から平城下になだれ込み、松ヶ岡陣地を攻撃した。折りしもこの日は雷雨であったといい、火縄銃主体の同盟軍の火力は著しく劣っており、同盟軍は奮戦するもやむなく退去した。

同盟軍にとって戦況は甚だしく不利で、同盟軍の指揮系統に統一性が無い中では篭城も困難で、平城主の安藤信正はこの日の午後に城を脱出、仙台藩兵も平城から退去した。残った平藩兵とわずかな相馬中村藩兵が城主退去後も城に籠り戦ったが、城外からの援軍も期待できない中、ついにその日の深夜、自ずから城に火を放ち平城は落城した。

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