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福島県国見町石母田字笠松

 

福島県国見町の厚樫山の山麓に「義経腰掛松」がある。

鞍馬山にいた源義経(遮那王)が金売吉次に誘われ奥州平泉に向かう途中、路傍に生えていた小松の枝に腰をかけ休息したのがこの松の名前の由来という。

奥州には、義経、あるいは弁慶の「腰掛石」「腰掛松」等の伝承が多くあるが、この松もその一つだが、これは奥州の人たちの、義経に対する、あるいは平泉文化に対する思い入れの強さだろう。

江戸時代には奥州街道の名所となり、多くの人が立ち寄ったと言われている。幕末の文化年間には、この地を訪れた風人墨客たちにより、近江の唐崎の松、摂津の曽根崎天神の松とともに、天下の三名松として名声を博した。

現在の松は二代目で、初代の松は文政4年(1823)に修験者が蜂の巣をとり払おうとし、誤って焼き枯らしてしまった。現在、焼け残った赤松の根幹が囲われ保存されている。