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福島県南相馬市原町区上渋佐字原畑

 

 

 

現在の南相馬市原町区は、かつては「牧」であり、馬の一大放牧地だった。この地の 野馬土手は、相馬中村藩三代藩主相馬忠胤が、寛文6年(1666)から、3年の歳月と多くの領民の労力を費やし、野馬が牧から逃げ出したり、田畑を荒らすことを防ぐために牧の周辺に築かれた。

野馬土手は、現在の原町駅を中心に、相馬野馬追いが行われる雲雀ヶ原を含む、現在の市街地の多くが牧で、野馬土手が囲んでいた。

土手の形や大きさは地形により一様ではないが、平地では、基底幅5.4m、上幅1.8m、高さ1.8mほどあり、牧の内側は溝が掘られ急勾配で、外側はゆるやかな勾配になっていた。また周辺住民の出入り等のため、30ヶ所以上の木戸が設けられていた。

相馬野馬追は、近世には野馬土手に囲まれた牧に放たれた野馬を捕え、小高の妙見社に奉納する神事だったもので、野馬土手は、相馬地方における近世の牧に関わる重要な遺構である。