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秋田県潟上市天王字天王

2015/08/28取材

 

東湖八坂神社は「お天王さん」と呼ばれて親しまれており、船越水道東岸に位置し、旧天王、船越村の鎮守で、五穀豊饒、漁業安全を願う湖畔の社として土地の人々から信仰を集めてきた。

延暦年間(782~806)に、蝦夷征伐のため奥羽に出向した坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。祭神は素戔嗚尊(スサノオ)で、江戸時代には秋田久保田藩主の佐竹氏から篤い信仰を受け、秋田十二社の一つに数えられている。明治14年(1881)に県社に列し、東湖神社、東湖八坂社と改め、後に現社名となった。

本祭は7月7日だが、祭事全体は一年をかけて行われている。祭りの起源は平安時代後期といわれ「八岐の大蛇退治」の故事と、八郎潟周辺の農漁民の間に伝わる水神信仰とが習合した祭礼である。現在も潟上市天王と男鹿市船越が分担して行っている。

牛乗りと蜘蛛舞の奇祭を中心とし、統人制のもとに牛乗りを天王側、蜘蛛舞を船越側が担っている。祭事は7月8日の「新統お竹受け」に始まり、翌年7月7日の「神輿巡行」で終わる。その間、3月25日の味噌煮、6月20日のもやし蒔き、6月26日の箸削り、7月6日の柏葉迎え、7月6日のお竹迎えなどの行事が行われ、7月7日の本祭を迎える。

本祭は神社で神楽を奉納した後、神輿が天王、船越を巡行、神輿が八竜橋にさしかかる頃、川岸に天王側から牛乗りが登場、一方船越側は、船越水道に浮かべた船上で蜘蛛舞を演じる。黒牛に乗る神人はスサノオをあらわし、蜘蛛舞は八岐の大蛇に見立てられているとされる。この祭事は、菅江真澄も詳しく記述しており、その当時と変わることなく伝えられている。

この祭りのモチーフはもちろん八岐大蛇神話だろう。そしてこの地には三湖伝説の龍の八郎太郎が、八郎潟の主として伝えられている。この八郎太郎こそがこの祭りの一方の主役の八岐の大蛇だとすれば、この祭りは大和朝廷勢力がこの地の蝦夷勢力を制圧した歴史が背景にあると考えることができる。