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秋田県秋田市浜田

2016/07/26取材

 

大森山は秋田市の南に位置する丘陵で、その山頂には、NHKのテレビ塔などの鉄塔が林立している。

この地は、秋田藩久保田城下の南端に位置し、その西側山ろくを羽州街道が通っている。戊辰戦争の際には、この地には攻め上る庄内藩に対して、砲陣地が置かれた。

慶応4年()、京都で始まった戊辰戦争の戦火は東北地方にも及んだ。奥羽諸藩は奥羽越列藩同盟を結び、新政府軍に対することになった。秋田久保田藩も列藩同盟に加わったが、藩論は定まらず、尊王攘夷派が仙台藩からの使者を処刑したことから列藩同盟を脱盟した。

このことで秋田久保田藩は列藩同盟側の恨みをかい、東からは南部藩に、南側からは庄内藩、仙台藩に領内深く攻め込まれ、9月には秋田城下の手前まで攻め込まれた。

秋田に駐屯していた佐賀藩の部隊は、この大森山の頂上に砲台陣地を築き、庄内藩、出羽松山藩の来襲に備えた。旧暦9月12日、庄内藩、松山藩兵はこの地から一里南の下浜長浜に進出、秋田藩、佐賀藩の新政府軍と衝突し、この砲台からも盛んに砲撃が行われた。

この戦いで、秋田藩士は11名、佐賀藩士6名が戦死し、庄内藩は7人が戦死した。列藩同盟軍は秋田城下進出を伺ったが、このときすでに列藩同盟側の敗色は濃く、9月4日、米沢藩が降伏し、10日には仙台藩が降伏、22日には会津藩も新政府に降伏した。会津藩が降伏すると庄内藩も秋田久保田領内から一斉に退却し、24日に降伏し、秋田城下が戦火にまみれることはなかった。

新政府軍の遺体は、秋田市八橋の全良寺、新屋の忠専寺などに埋葬され、敵方の首は新屋村の三本木にさらされたと云う。