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秋田市下浜八田字上台

2016/07/27取材

 

「玄海の松と杉」は種類を異にする珍しい「夫婦樹」である。お互いに寄り添うように松と杉が伸び、共に枝を連ねて見事な姿を呈していたが、松は平成8年(1996)に松喰虫の被害に遭い、惜しくも伐採されて今は杉だけが残る。現在残る杉は、樹齢約480年、目通り周囲5.6m、樹高27mである。

この「玄海の松と杉」には、次のような伝説が伝えられている。

昔、雄物川のほとりの村々は、稲刈りも終り、紅葉の盛りも過ぎたころ、この八田の里に峠を越えて、玄海坊という一人の旅の僧が来た。玄海坊の旅のほこりに汚れた姿はみすぼらしかったが、笠の中の顔は目元も涼やかで、気品にあふれ男らしく、若くして仏信の志に篤い修行者だった。

玄海坊は家々をめぐり、一段高い石崎山添の屋敷の門口に立った。この地の長者は徳望が高く、里人からは「高徳長者」と呼ばれていた。鈴の音と念仏の声にうながされ応対にでた長者の娘は、玄海坊の気品のある顔や姿、念仏を唱える声に、心を惹かれた。

長者の家では夕食時で、玄海坊はしきりに引き止める娘と長者夫婦のすすめに乗って、一晩の宿を長者屋敷でとることになった。長者の家には、沢山の若勢や女中もいたが、 わらじを脱いだ玄海坊の世話は、長者の娘のお杉がした。翌朝はあいにくの雪で、立ち去ろうとする玄海も、お杉と長者夫婦に引き止められ、ニ日が三日と宿を重ねた。

玄海坊もお杉の激しい恋心に気づき、修行中の身を思い困りぬき、沈思黙考の日々を送った。仏に仕える身ながらも次第にお杉の心にほだされ、またお杉の両親の信心深い志もあり、玄海坊はこの地に足を留め、里人に布教をすることにした。長者夫婦は愛娘の頼みに応じ「高徳庵」という庵を建てて、玄海坊とお杉はそこに住まうようになった。

玄海坊にとっても、美しく心やさしいお杉の慕情を受けながらの生活は夢のようなものだった。しかし修行僧の玄海坊は、僧籍にありながら女人を近づけた破戒の呵責にもさいなまされた。玄海坊は土中入定を決意し、ひそかに長者夫帰を説得し、里人たちに頼み山裾に生きたまま埋めてもらうことにした。

それに気づいたお杉は、泣いて止めたが、玄海坊の決意は固く、鉦と竹筒にいれた水だけをもって、土中に埋めてもらい入定成仏した。残されたお杉は、身も心も狂わんばかりに泣き叫び、慰め悟す術もなかった。幾日もたたないうちに、玄海坊の後を追うようにこがれ。悶え、やつれ果てて、息を引きとった。

長者夫帰や里人は、その哀れさに涙を流し、ねんごろに弔り、玄海坊の入定した側に葬った。そして、玄海坊には松、お杉には杉の木を植え墓印とした。その後暫くの年月、小雨降る夕方など、女の泣き声や鉦の音が聞こえたと伝えられる。いつの頃か、玄海松と杉を見守るように杉が植えられ「八田の親杉」と呼ばれている。