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秋田県大仙市太田

2016/09/24取材

 

昔、真木沢口の上真栄という高僧が、谷を隔てた大森山の中腹を山居としていた。寛治元年(1087)の後三年の役で、八幡太郎義家が、清原家衡、武衡平定のためこの地に来て、真栄の山居に夜更けに着き、門を叩いたが開かなかった。そこで矢立の筆を執り、その扉に「叩けども寝入りの深き御僧かな」と書き残し帰った。翌朝それを知った真栄は驚き、義家を追ってその失礼を詫び、日夜、義家の戦勝を祈願した。

義家は、金沢の柵を三年掛かって落とし勝利すると、その功により、八幡太郎義家の名から二字を賜し源太寺の名が与えられ、日通り掠として一戸籾一升の年貢を取ることを許すお墨付きを与えた。源太寺はのちにこの地に移り、後年、さらに戸沢氏を頼り角館に移った。現在寺跡には「姥杉」の巨木が残り、また湧水「力水」が残るだけである。