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秋田県大仙市豊川字観音堂

2016/04/05取材

 

水(すい)神社は、延宝5年(1677)「線刻千手観音等鏡像」が発見されたことによりそれを御神体として創建された。この地では観音様、米沢観音などと呼ばれている。この鏡は現在では秋田県唯一の国宝である

延宝5年(1677)、玉川から窪堰川まで水路を引いている途中、野中村三采女谷地の地中1.5mから古鏡が発見された。これを藩主の佐竹義処に差し出したところ、堰神として祀るように命じられ、水路を掘っていた草彅理左エ門が社を創建し奉納した。

現在につながる社殿は貞享2年(1685)に創建され、古来よりあった草堂に板堂を建立して遷座したもの。元禄13年(1700)に本堂を三間、四間に新築し、享保19年(1734)に再建して近在の崇敬を集めた。

明治初年までは観音堂だったが、明治の神仏分離により現社号に改め、御神体は「線刻千手観音等鏡像」、御祭神を水神である水波能売命(みずはのめのみこと)として奉斎している。

御神体の鏡は、直径は13.5cm、厚さ7mm、重さ520gの白銅製である。鏡面には、細い線で仏像が彫られている。鏡面中央には蓮台に立った十一面千手観音像を表し、左右に眷属8体、向かって右下に婆藪仙人、左下に功徳天が配されている。鏡背は中央につまみがありそれを囲むように蝶、鳥、さらにその外側に宝相華が表されている。鏡背の模様の上には「仏師僧 崇紀 大趣具主延暦僧仁祐 女具主藤源安女子」の線刻銘がある。

作風や銘文から、鏡自体は平安時代初期、線刻は平安時代後期の制作と推定される。施主の「藤源安女子」は、鬼退治で有名な源綱(渡辺綱)の孫にあたる武士の源安の娘である。