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秋田県男鹿市船川港本山門前字祓川

震災前取材

 

五社堂の参道の石段は、九百九十九段あると云い、この石段には次のような伝説が伝えられる。

昔、漢の武帝が、白い鹿が引く飛車に乗り五匹の蝙蝠を従えてこの地に降り立った。蝙蝠は五匹の鬼に変わり、武帝のためによく働いたので、武帝は正月15日の一日だけ休みを与えた。

鬼達は喜び、村里へ出てうれしさのあまり畑を荒らし、家畜や娘達をさらっていった。これに怒った村人達は、手に手に武器を持ち鬼退治に出かけたが、力の強い鬼達にかなうはずもなく散々な目に合わされた。

その後、ますます乱暴になっていく鬼達に困り果てた村人は、鬼達と賭けをすることになった。それは「五社堂まで一夜の内に千段の石段をつくることが出来れば、毎年一人ずつ娘を差し出す。出来なければ二度と村へは入らない」というものだった。

鬼たちは日暮れをまって、石段を積み始めた。大きな石を抱え、あれよあれよと云う間に石段を積み上げていく。これにあわてた村人は、ものまね上手を使って、鬼達が九百九十九段まで積み上げたところで、「コケコッコー」と一番鶏の鳴きまねをさせた。

鬼たちは飛び上がって驚き、そして怒りにまかせてそばにあった千年杉を引き抜き、まっさかさまに大地に突き刺し山へ帰っていった。それからは鬼たちは再び村に下りて来ることはなかった。

五社堂はこの鬼達を祀ったものともいわれており、この地の「なまはげ」の起こりとも云われている。

また、かつてはこの地方では「神が忌む」といって鶏は飼わなかった。この山から出る水を飲むと鶏は必ず死ぬと伝えられる。