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秋田県北秋田市脇神字小ヶ田中田

2017/05/12取材

 

この遺跡は、縄文時代後期前葉(紀元前2,000年~紀元前1,700年頃)に形成された環状列石を中心とした遺跡で、米代川西岸の河岸段丘で標高42~45m舌状台地上に位置する。

4つの環状列石を中心に、配石遺構、掘立柱建物跡、土坑墓、貯蔵穴、溝状遺構などが見つかっており、石鏃(せきぞく)などの狩猟具、石錘などの漁労具、石皿・磨石などの研磨器類などの生活用具や、土偶・動物形土製品・鐸形土製品・岩版類・三脚石器・石剣類など祭祀の道具も多量に出土している。

環状列石の石の下に、死者を埋葬した土坑墓が確認されており、またその中からは完全な形に復元できる板状土偶が出土した。また他にも200点近くの土偶が出土しているが、土偶は何らかの願いを込めて、故意に壊されており、完全な形に復元できたのは1点のみである。

環状列石は、大規模な労働力の集中によって構築されたものであり、石は遠いところでは5km離れた河川から持ち込まれたもので、地形改変などの土木作業を経て造営されている。

縄文人の世界観や社会構造を復元できる貴重な遺跡として、平成13年(2001)国の史跡に指定されている。