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男鹿市船越八郎谷地

2015/08/28取材

 

八竜神社は、八郎潟の主となった八郎太郎を祀っている。江戸時代の紀行家、菅江真澄もこの地を訪れ、
「この祠は、世に言う「八郎太郎」が大蛇となり、難蔵法師との戦いに負け、この湖に入った。そこでこの寒風山の麓、湖のほとりに八龍権現として大蛇を祀ったものである。」
とある。

この地の伝説では次のように伝えられる。

昔、秋田鹿角の里に八郎太郎という若者が住んでいた。ある年、仲間と十和田にでかけ、その日は八郎太郎が当番で食事の用意をすることになっていた。八郎太郎は、奥入瀬の谷川へ水を汲み、イワナを捕らえ塩焼きにした。ところがあまりにいい匂いがするので1匹食べ、2匹食べ、とうとう全部食べてしまった。

すると喉が焼けつくように渇き、谷川の水を飲んだがいくら飲んでも渇きは止まらない。33日間も水を飲み続け、ついには大蛇となってしまった。八郎太郎は家に帰ることもできず、谷川を堰き止めて湖をつくりその主となった。それが今の十和田湖だと云う。

その頃、紀州熊野に南祖坊という修験者がおり、ある夜、権現様が現れ「鉄の草鞋の緒が切れたところをおまえの住む場所とせよ」と告げられた。そこで南祖坊は旅に出て全国をまわり、十和田湖に着いた時に草鞋の緒が切れた。しかしそこには、すでに八郎太郎という主がいた。八郎太郎と南祖坊は、主の座を巡って激しく戦った。

南祖坊は法華経を唱えて九竜を生じさせて八郎太郎を襲い、八郎太郎は身につげていた箕の一本一本を小竜に変える秘術で戦った。7日7晩 にわたる激しい戦いの後、とうとう八郎太郎は敗れ、南祖坊が新たな十和田湖の主になった。

敗れた八郎太郎はこの地に流れ着き、この地に大きな湖をつくることを神に祈願し許しを得ることができた。八郎太郎はこの地で親切な老翁と老婆の住む家に泊めてもらった。八郎太郎は、世話になった二人に災いが降りかからないように、「ニワトリが鳴く声を合図に大地震が起き大洪水となる」と教え逃がした。

老婆が麻糸を忘れたことに気づき家に取りに戻っている間に、ニワトリが時を告げ、大地が鳴動し洪水となった。老婆は洪水に流され溺れそうになったが、八郎太郎がそれを見つけ、対岸の八竜町芦崎に蹴り上げた。老婆は助かったが、老夫婦は別れ別れになってしまった。のちに老婆は姥御前神杜として芦崎に祀られ、老翁は三倉鼻に夫権現宮として祀られた。このためか、最近まで芦崎の家々ではニワトリの鳴き声を嫌い、ニワトリを飼わない家が多かったと云う。

その後、八郎太郎は田沢湖の辰子姫と夫婦になり、冬は田沢湖で一緒に暮らすようになり、そのため田沢湖は二人が住むようになり深くなり、冬でも凍らないが、八郎潟は浅くなり凍結するのだと伝えられている。