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秋田県鹿角市

2017/05/12取材

 

五ノ宮岳は、だんぶり長者伝説のある小豆沢の東に位置する、標高1,115mの山である。この山は、錦木塚伝説に登場する、子どもを攫う大鷲の棲みかであったとされる。

この地には、以下のような伝説が伝えられている。

だんぶり長者の娘の吉祥姫は京に上がり、継体天皇の寵愛を得て第五皇子の菟皇子を産んだ。しかしその後、故郷の父母も亡くなり家も衰退してしまう。吉祥姫はこれを悲しみ、故郷の小豆沢に、父母が信仰していた大日霊貴神社を建立し、その後、自分が死んだらこの故郷の地に葬るように遺言して亡くなった。

吉祥姫の子の菟皇子は、五の宮皇子と呼ばれていたが、その後諫言を受け世をはかなみ、部下や乳母を伴い母の故郷のこの地に逃れた。皇子は小豆沢の母の墳墓を弔い、「自分は東の山に登り修業をし、この身を終えるつもりだ」と言い残し東の山に消えて行った。

乳母は皇子を追いかけたが見失い、今の薬師神社の場所でツタに足をとられ転び、目を打ち先に進めず「万人に代わり目を病むのだ」と言い落命し、石になってしまった。その後この地に薬師神社が作られ、これより上は女人禁制となった。

その後、この山は五ノ宮岳と呼ばれるようになり、皇子の従者たちの、安保、秋元、成田、奈良氏は、鹿角の基礎を作ったと云う。