秋田県湯沢市小野字小町

震災前取材

 

小野小町は平安時代の歌人の1人で、六歌仙、三十六歌仙の1人に数えられている。また容姿端麗で、日本の美人の代表的な存在としてその名を今に伝える。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

小野小町伝説は、全国いたるところにあり、特に地名が「小野」の地に多く残る。この湯沢市小野の地は、小町の生誕、及び終焉の地とされ、周辺には多くの小野小町の伝承や伝説の地が密集している。

この小町堂のある地は、芍薬(しゃくやく)塚の地に建てられ、毎年6月に「小町祭り」が行われ、小野小町の伝説を伝えている。

小野小町は、その容姿の美しさと優れた才能から多くの女官中比類なしと称されていたが、故郷を恋しく思う気持ちは消えることなく、36歳の時宮中を辞し、小野の里へと帰郷し、庵を造り静かに歌を詠み暮らしていた。

小町が都にいた頃から思いを寄せていた深草少将は、小町を忘れがたく、郡代職を願い出て都から小野の里へと下った。少将は恋文を小町に送ったが、このとき小町は疱瘡を患っており少将に会おうとはせず、「私を心から慕ってくださるなら、高土手に毎日一株づつ芍薬(しゃくやく)を植え、それが百株になりましたら、あなたの御心にそいましょう」と伝えた。

少将はこの返事をきいて野山から芍薬を堀り取らせ、毎日一株ずつ植え続けた。小町はその間、磯前(いそざき)神社の清水で顔を洗い、疱瘡が直りもとの美しい姿に戻るように祈った。

少将は一日も欠かすことなく九十九本の芍薬を植え続け、いよいよ百日目、その日は秋雨が降り続いたあとで川は増水しており、無情にも百本目の芍薬を持った少将は川に流され亡くなってしまった。

小町は深い悲しみに暮れ、少将を手厚く葬り、植えられた芍薬には99首の歌を捧げ、その後は世を捨て、少将を供養しながら岩屋堂に住んだと云う。

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