秋田県湯沢市院内銀山町

震災前取材

 

昔、この院内銀山に、小関太夫という美しい白拍子がやってきた。やがて小関太夫は、思いを寄せる若い浪人と夫婦になり、仲むつまじく暮らしていたが、翌年になり病に罹り、21歳の若さで生涯を閉じた。

男は小関を荼毘にふし遺骨をこの主鈴坂(しゅれいざか)下に納めようとしたところ、こんこんと清水が湧き出てきた。人々はこの清水を「小関清水」と呼び喉を潤し、若く美しく亡くなった小関を偲んだ。残された男は、日増しに悲しみがつのり、出家し小関の菩提を祈っていたが、行方を絶ってしまった。

それから30数年後、年老いた僧がこの地を訪れ、小関清水の「染の石」に「南無阿弥陀仏」と名号を刻し供養し立ち去ったと云う。

その後、この「小関清水」と「染の石」は草木に覆われわからなくなっていたが、昭和52年(1977)、この地の整地作業中に、偶然にも発見された。

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