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秋田県横手市金沢中野字三貫堰

震災前取材

 

源義家が、雁の乱れから伏兵に気づいたという「立馬郊(りつばこう)」周辺は、現在は「平安の風わたる公園」として、後三年の役をテーマとして整備されている。

源義家軍が、清原家衡、武衡軍の籠もる金沢柵へ行軍中、この西沼の付近を通りかかった。義家がこの地で馬を止め空を見上げると、整然と列をなして飛んでいるはずの雁が乱れ飛んでいた。

先の戦いの前九年の役の後、京で有名な兵法家であった大江匡房が、義家を評して「器量は賢き武者なれども、なお軍の道を知らず」とつぶやいたということが義家に伝わり、義家は辞を低くして匡房の弟子となりその孫子の兵法を学んだ。その中に、「雁の列乱るるは伏兵の兆なり」という中国の故事があったのを思い出した。

義家はすぐに兵に探らせたところ、思った通り30余名の清原軍の伏兵がいて、これを難なく殲滅した。しかし後に、「師の匡房の言葉を思い出さなかったら、あぶなかったところだ」と語ったと云う。