秋田県にかほ市象潟町象潟島

震災前取材

 

有史以前、この地は鳥海山の激しい火山活動により海にせり出した半島のような地域であった。その後いく度かの地震に見舞われ、特に嘉祥3年(850)、出羽国一帯を襲った大地震によって海岸線が大きく陥没した。さらに、軟らかい火山灰は海水の浸食に洗われ、火山岩の硬い部分が島々として残り、それが後に名勝象潟として全国に知られるようになった。

大小百余の島々を浮かべ、水面には南にそびえる鳥海山が島の間を縫うように、その姿を映し出し、松島と並ぶ景勝地として広く知られ、多くの人々を魅了してきた。

この地を松尾芭蕉は、奥の細道のいわば最終地として、悪天候の中、酒田からわざわざ難所の三崎峠を越え訪れている。

象潟や 雨に西施が 合歓の花

西施は、越王勾踐の愛妾で、いわゆる傾城の美女として国難を憂える越の家臣により殺され水に沈められた悲劇の女性である。その西施を思ってか、芭蕉は奥の細道に

松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし

とも記している。

しかし、その後、文化元年(1804)6月、出羽大地震でこの地は20mほども隆起し、多くの島々は陸地となり、現在は水田になっている。しかし、田植え時期に水田に水が張られると、かつての景勝の地が現出すると言う。

以下に「奥の細道」本文

江山(こうざん)水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責。酒田の湊より東北の方、山を越、礒を伝ひ、いさごをふみて其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風 真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に莫作して「雨も又奇也」とせば、雨後の晴色 又 頼母敷(たのもしき)と、蜑(あま)の苫屋(とまや)に膝をいれて、雨の晴を待。
其朝 天 能霽(はれ)て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先 能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。
江上に御陵あり。神功皇宮の御墓と云。寺を干満珠(かんまんじゅ)寺と云。此処に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾(すだれ)を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海、天をさゝえ、其陰うつりて 江にあり。西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遙に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと云。江の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

象潟や 雨に西施が ねぶの花

汐越や 鶴はぎぬれて 海涼し

祭礼
象潟や 料理何くふ 神祭     曾良

 蜑の家や 戸板を敷て 夕涼   みのゝ国の商人 低耳

岩上(がんしやう)に雎鳩(みさご)の巣をみる
波こえぬ 契ありてや みさごの巣

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