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秋田県八郎潟町浦大町字小坂

震災前取材

 

副川神社のある高岳山(たかおかさん)は、この地の森山、三倉鼻を結ぶラインは蝦夷との国境線とも言われ神聖視され、信仰の対象になっていた。副川神社が鎮座する前から、牛頭天王を祀っていたと云う。また、「山一ツにして八沢あり、是八沢木と云フ」など言われ、八郎潟の龍伝説とも重なり、八岐大蛇の神話を彷彿とさせる。

この山の山頂に副川神社があり、中腹に里宮がある。後三年の役で、「高岳山副川神社破戒」とあることから、この地は、蝦夷の信仰の対象でもあったとも考えられる。

正徳4年(1714)、佐竹義格が保呂破山からこの地に延喜式内社を移し、秋田久保田城の北の守りとした。山頂からは、八郎潟町が一望に見下ろすことができ、南方に湖東平野、西方に寒風山が眺望できる。