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秋田県五城目町兎品沢

震災前取材

 

別名:五城目城

砂沢城は、中世には八郎潟町の浦城の支城で、三浦氏の支配下にあったと思われる。その後、戦国期後期には、この地域は馬場目城の安東季宗の支配下にあったと考えられるが、湊騒動の際に、季宗は湊安東氏側に付き敗れ、この地には檜山安東方だった藤原内記秀盛が入り、砂沢城を居城とした。藤原秀盛は、馬場目城下からこの地に市を移し城下を整備、五十目氏を称するようになった。

現在、主郭跡には森林資料館として模擬天守がたっているが、本丸跡の発掘調査により、平場、盛地跡、柵列跡が確認され、帯郭、物見跡なども残っている。山麓の四渡園のあたりが城主の居館跡と伝えられる。

慶長6年(1601)、安東秋田氏はの転封により五十目氏もこの地を去り城は破却された。