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秋田県秋田市八橋運動公園

震災前取材

 

秋田市八橋寺内地区は、古くから自然に油の出る場所があった。この地域を流れる川は、草生津川(くそうづ)川と呼ばれ、これは石油の和名「臭水(くそうず)」から来たものとされる。また、寺内地区には「寺内油田(あぶらでん)」という地名があり、寺社で使用する灯明の油を採取した地であることからきている。

秋田久保田藩の御用油商であった千蒲善五郎は、秋田周辺での油田の兆候に興味を持っていたが、明治元年(1868)、八橋の戍川原で臭水(石油)の湧く「ツボ」があるのに着目し翌年採油に成功した。これが秋田県内初の油田開発とされる。善五郎は、先進地の新潟県の蒲原地方で精油技術を学び、蒸留釜二基を導入して、明治3年(1871)この地に秋田で始めての製油所を建てて灯油の生産を開始した。

明治5年(1872)には、東京から石油ランプを取り寄せてランプと灯油の販売を試みたが、当時の精製技術は粗悪で悪臭が発生し、売り上げは芳しくなかったという。その後、本格的に石油産業が活発になるのは明治20年代になってからである。