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秋田県秋田市川尻総社町

震災前取材

 

創祀は神亀元年(724)と伝えられる。この年の3月のある日、夜半に三森山(現在の千秋公園)に神光が飛来し、その光は真昼のごとく輝き、山河は鳴動し、里人たちは大いに驚いた。この時「我大己貴神なり、今ここに一宮を創建し祀らば、国中安泰、諸人守護、五穀豊穣いたさん」との託宣があった。里人たちは社殿を建て岩座を納めて祀ったと云う。その後、「三嶽山総社大明神」と称し広く崇敬された。

源頼朝が奥州征討のみぎり、家臣の畠山重忠に命じ、大嶽山、小嶽山、光明山の三森を神領とした。慶長7年(1602)、佐竹義宣が常陸から秋田へ国替えとなると、その居城を神明山とも呼ばれていた三森山に定めることとした。このため川尻郷下浜に仮遷座、その後宝永4年(1707)、現在の社地に遷座した。累代の佐竹藩主の崇敬も厚く社領の寄進もあり、以来川尻郷一帯の鎮守として崇敬された。