秋田県大仙市神宮寺字三ツ森腰廻

震災前取材

 

別名:太平山

姫神山の北東の松山には、かつて鶴羽形城と呼ばれる城があった。この城は安倍貞任が居館としていた。貞任には鹿姫と言う美しい姫がおり、やはりこの城に住まっていた。

前九年の役の折に、貞任は奥羽征伐の源義家と戦い敗れ、鶴羽形城に立て篭もった。城の前面は雄物川、後ろは深山の要害の地の城は守るに易く攻めるに難かった。貞任は地の利を活かし頑強に抵抗した。

義家は北上の軍を止め、「新堀八幡宮」の地に陣を敷き、長期戦をとり城を取り囲んだ。義家は力を尽くして城を攻めたが落とすことは出来なかった。

義家は貞任の娘の鹿姫に近づき、鹿姫もまた敵の大将の義家の姿に心を奪われ、義家は「笛ヶ沢」で夜な夜な合図の笛を吹き、鹿姫は「忍び長根」の尾根道を越えて逢瀬を重ねるようになった。逢瀬を重ねるうちに、義家は城の弱点を知り、鹿姫は義家の子を身ごもり、それは貞任の知るところとなった。

貞任は烈火のごとく怒り、鹿姫を牢に入れたが、姫は月満ちて牢内で男の子を産んだ。やがて城の弱点を知った義家は総攻撃を開始し、姫は乳母の手引きで牢から逃げた。

鹿姫は馬に乗って逃げたが、途中追っ手に追いつかれそうになり、「馬捨場」で馬を捨て山に逃れた。山中を徒歩で逃れたが捕まりそうになり、「姥の懐」で乳母に抱かれ隠れて追っ手をやり過ごした。姫はなおも逃げたが、ついに「お助け沢」で捕まり「助けてー」と叫んだと云う。

父貞任の怒りはすさまじく、母子ともに生きたまま朱をいれたカメに入れられ、姫神山の中腹に埋められ、乳母もつかまり殺された。

後年、里人たちが姫とこの乳母を哀れみ「姫神の塔」を建てて供養し、乳母が埋められた地には杉を植えて供養した。

その後毎年5月4日には、姫が埋められた沢から白水が流れ、これは、鹿姫が義家のために米を研ぐためであるとされ、また、翌日の5日には、姫神山頂に、源氏の白旗が一流風にはためく。これを見たものは、3年以内に死ぬと伝えられ、里人はこの日は山に入らないと伝えられる。

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