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秋田県大仙市花館字幸福寺

震災前取材

 

別名:松山城

鶴羽形城は、雄物川と玉川の合流点南側に位置する丘陵先端部に築かれた山城で、現在城址は姫神公園として整備されている。

丘陵の二つの尾根に、それぞれ郭が配置されており、北側の尾根に主郭がある。南からの丘陵部とは二重の堀切で遮断し、主郭周囲には空堀が巡らされており、腰郭が北に向かって三段ほど配されている。

南側の尾根筋には二の郭があり、二段の腰郭が配されているが、現在は、姫神センターハウスと駐車場になっている。

築城年代や築城者については定かでないが、平安時代後期の前九年の役の際には、安倍貞任、宗任が居したと伝えられている。周辺には源義家と安倍一族や、安倍貞任の娘の 鹿姫にまつわる伝説や地名が数多く残っている。

現在見られる遺構は、中世から戦国期にかけての特徴も多く残しており、この間断続的に修復使用されたものと考えられる。

この地域は、南北朝期には三戸南部氏が支配していたが、応仁2年(1468)に南部氏は小野寺氏との戦いに敗れ、その後は小野寺氏の支配下だったと思われるが、戦国末期には戸沢氏の支配下にあった。

この城は、流動的な北出羽にあって、南部氏、小野寺氏、戸沢氏にさらに由利十二頭も加わり、境目の城として城主もめまぐるしく変わったものと推測できる。