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山形県高畠町竹森

震災前取材

 

日向洞窟は、巨大な擬灰岩塊が露頭する長峯山の麓に所在し、四ヶ所の洞窟と岩陰により構成されている。

江戸時代には、樹木の奥 のこの洞窟は、「鬼の岩屋」と伝えられ、立ち入る者もなかったが、その後、次第に多くの人の目にとまるようになり、石鏃などを拾う人も現れるようになった。

洞窟が遺跡として認知されたのは昭和29年(1954)のことで、その後4回にわたる調査の結果、たくさんの遺物が出土し、旧石器時代から縄文時代までの何千年もの間使用されていた複合遺跡であることが判明した。

とりわけ、最下層から出土した隆起線文土器や爪形文土器等の土器群や、それに伴う石槍、有舌尖頭器、断面三角形錐、植刃、矢柄研磨器、局部磨製石斧、半月形石器等の一連の石器群は、縄文土器の起源に関する問題に新たな一頁を開くとともに、縄文文化の始源、草創期研究に大きく貢献した。

さらにその後、周辺部の調査を行った結果、膨大な量の土器や石器が出土し、また石器を製作するときに生じる剥片や砕片の集中が随所に見られ、石器製作跡の様相を呈し、遺跡が洞窟外の広範囲に広がりを持つことが明らかになっている。現在、国の指定史跡となっている。