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山形県山辺町杉下

震災前取材

 

別名:蟠龍の大杉

杉下の大杉は、この地区の氏神の八幡神社の背後の斜面にあり、推定樹齢約1000年、目通り幹回り約7.5m、高さ約40mである。下の枝が、地上約3mで横に約2m伸び、すぐ2本の太幹となって直立している。その姿は、龍が蟠踞し正に龍が飛翔しようという姿を偲ばせるものがあり、蟠龍の大杉とも呼ばれる。

この大杉には、この杉下地区の成り立ちに関する伝説が残されている。

八幡太郎義家の曽祖父である多田満仲は、貞観2年(977)出家し、長徳元年(995)、諸国行脚の旅の途中、この地の山中に迷い込んでしまった。峰に登って眺めると、遥かな谷底に煙が立ち昇っているのを見て、それを頼りに谷に下りると、山小屋の中に老翁と若い娘がいた。

満仲は一夜の宿を乞うと、老翁は快く満仲を小屋に招じ入れた。翁の話すところによると、翁はもとは陸奥の豪族安部頼時の家臣であったが、主人の一族から、娘を無理に所望され、この地に逃れ住んでいるということだった。

幾日かこの地に留まるうちに、満仲と娘は恋仲になり、やがて娘は懐妊した。しかし満仲には出発の日が訪れ、娘に手紙を渡し、都に帰ったら呼び寄せるので、その手紙を持って都に来るように言い残し旅立った。

しかし、その年の内に、二人が山仕事をしている最中に、小屋が燃え、満仲の手紙もろとも灰になってしまった。二人は、この大杉の下に仮小屋を建てて生活し、やがて娘は男子を出産した。

長徳3年(997)、満仲は都で没し、その噂はこの地にももたらされた。娘は都に上ることを諦め、田畑を開いてこの地で生涯を終えた。満仲の子にはまた子が産まれ、それぞれが分家し、一族はこの地に広がり、これが杉下村の起源になったと云う。

その後、この杉下武士団の団結は強く、山形最上氏の精鋭として日月旗を翻し各地で活躍したと伝える。