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宮城県白石市大鷹沢三沢字坂端

孝子堂は、「碁太平記白石噺」などの歌舞伎で名高い孝女、宮城野(実名まち)、信夫(実名おその)及び父与太郎の霊を祀り、大正15年(1926)建立された。堂内には姉妹の守護仏の弁財天が安置されている。境内の「孝子堂」の石の標柱は徳富蘇峰の書であり、また堂前には姉妹の徳を歌った土井晩翠の歌碑が立つ。

寛永13年(1636)、百姓与太郎が二人の娘と共にこの地八枚田で田の草取りをしていた際に、たまたまこの地を通りかかった、白石城下剣道指南の志賀団七の袴に泥がかかってしまった。団七は怒り、与太郎や姉妹の心からの謝罪も聞き入れず、父の与太郎を切り捨てた。姉妹は家に逃げ帰ったが、母は怒りと落胆のあまり病にかかり命を落としてしまった。

姉妹は悲嘆にくれたが、仇を討とうと執念を燃やし、江戸の由井正雪の門をたたいた。正雪に事の次第をくわしく語り、正雪はこの姉妹に同情し、姉妹は正雪の道場で武道の修練をつみ、寛永17年(1640)2月、白石市郊外の六本松河原において、姉は鎖鎌、妹は薙刀を使い、みごと父の仇を討ち本懐をとげたと伝えられる。