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宮城県気仙沼市本吉町林の沢

震災前取材

この墓について、次のような伝承がある。

昔、ある吹雪の夜、一夜の宿を求めている男がいた。その男は病気だったので、感染を恐れて誰も助けなかった。しかし、林の沢の里人たちは、その男を温かく迎え看病した。そして数日後、その男は全快する。

その男は、日本の言葉を話せなかった。しかし、看病の謝礼なのだろうか、魔法のようなものを使って、里人たちを助けたという。病人のいる家を訪ねては、痛いところを優しくなでて、「ポーポー 」と言いながら、息を吹きかけた。すると不思議なことに、病気が治ったという。いつしか里人たちは、その男のことを、「ポーポー様」と呼ぶようになった。

ポーポー様は、里人たちと仲良く暮らし、林の沢で生涯を終えた。里人たちは、ポーポー様の墓を建てて、ねんごろに弔った。そして病気になった時は、ポーポー様の墓に行って病気が治るようにお願いしたという。

他の地方の話で、「十字らしいものを切り『 マメチヨ、コメチヨ、ポーポー 』といって、 キリシタン宣教師がまじないをした」という話が伝えられていることから、キリシタンとの関連が考えられ、またこの林の沢から7~8km西には、江戸時代初期に激しいキリシタン弾圧があった大籠や狼河原があリ、この話の時期もほぼ重なることを考えれば、このポーポー様はキリシタンのそれも宣教師であった可能性が高いと推測できる。