宮城県白石市大鷹沢三沢字落合

 

築城者や築城時期など詳細は不明である。しかし江戸時代の文献には、「本丸東西24間、南北50間、二の丸東西12間、南北23間」とあり、古くは藤原泰衡の家臣が居住していたと伝えられ、平泉藤原氏の全盛期には、名取郡、刈田郡に各所に伝承として残る平泉藤原氏の城館の一つだったと思われる。慶長年間(1596~1614)には、三沢信濃守頼母の居城と伝えられているが、江戸期に書かれた文書によると、伊達家臣の三沢氏との関わりはないらしい。

白石地方における南北朝期唯一の城で、白石刈田17ヶ城の一つであった。幾重にも空堀や土塁が主郭を巡っており、自然の地形を削って構築された枡形、土橋などが、現在でもほぼ完全な形で残されている。

正平7年(1352)3月、霊山城にいた南朝方の総帥北畠顕信が、しばらくこの三沢城に篭城し、吉良貞経などの北朝軍と戦った。吉良貞家の書簡に、「今日十七日顕信卿没落三沢城引籠小手保大波城間差遣軍勢等取巻…」とあり、この書簡は、白石地方の城館名を記載した最初の資料である。

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