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宮城県岩沼市南長谷字西川前

  渡邉家は、藩政期に玉崎問屋で代々仙台藩の水運関係の御用をつとめ、米沢藩、仙台藩の御城米やその他の荷物の運送にたずさわり、また旅館としてもたいそう繁盛していた。 渡邉家は、仙台藩主や姫君、代官などの宿所を供し、それは「玉崎荘」と呼ばれていた。 渡邉家は伊達家に願い出て、この玉崎荘の周囲に、文久2年(1862)、仙台藩お抱えの庭師に近江八景をかたどって築庭させた。およそ1000㎡の庭園で、庭石はすべて伊豆産、四基の石灯篭は、伊達家郷六御殿にあったものを拝領したと伝えられている。 また庭園のほかにも、玉崎荘や御城米蔵など貴重な建物が残されている。