宮城県栗原市若柳字大林町裏…大林寺境内

 

明治42年(1909)10月、日韓併合の前年、日本の伊藤博文は、ハルピン駅頭で、安重根により暗殺された。暗殺者の安重根は、熱烈な朝鮮独立運動の義士で、当時30歳だった。同志と共に薬指を切り、その血をもって国旗に大韓独立の文字を書いたという断指同盟の逸話が残っている。

旅順の関東都督府地方院で死刑判決を受けたが、その判決文に、「(伊藤博文を暗殺した行為の)決意は、私憤によるものにあらずといえども」とあり、日本の裁判官や検事からも、一定の敬意を受けたようだ。明治43年(1910)3月、旅順刑務所で絞首刑に処せられた。

この、獄中の安重根を看守したのが、栗駒町猿飛来の出身の千葉十七だった。十七は当時陸軍憲兵として、旅順で獄中の安重根に接した。死刑を目前にしてもなお、東洋平和論と民族独立への悲願を熱く語る安重根に、千葉十七は深く心を動かされていった。

二人は互いに敬愛の念を持つようになり、処刑の5分前、安重根は千葉の願いに答え、「為国献身軍人本分」の書を贈った。この書は、その後千葉十七、ならびにその遺族により、大切に保管されていたが、安重根生誕百周年の昭和54年(1979)、祖国に返還された。この碑はこれを記念し建立されたものである。

安重根は、現在の韓国では「抗日闘争の英雄」として評価され、「義士」と呼ばれており、ソウルには安重根の偉業を伝える「安重根記念館」もある。しかし、その歴史的評価は未だ定まっておらず、韓国併合に対して反対の立場だった伊藤博文を暗殺したことで、このことが韓国併合を実現させてしまった、あるいは実現を早めてしまったとし、彼を「先の見えないテロリストである」と評する者もある。

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