岩手県一関市東山町長坂字町
2011/12/06取材
猊鼻渓は、大正14年(1925)、岩手県で最初に、国の名勝に指定された渓谷で日本百景の一つにも数えられている。全長は約2kmで、高さ50メートルを超える石灰岩の岸壁が続く。至る所に奇岩や流れ落ちる滝が点在し、付近と同様に鍾乳洞も見られる。
猊鼻渓の名は、渓谷の奥の大岸壁に突き出た「獅子(猊)ヶ鼻」を由来とし、明治43年(1910)、観光開拓の功労者である佐藤猊巌らの地元有志によって名付けられた。佐藤猊巌は、父洞潭とともに私財を投じて観光地開拓に努め、師の岡鹿門など、多くの文人墨客を招き猊鼻渓の開発に努めた。
それまでは、絶対の秘境であり、同じ村に住む者さえ、知らぬ人がかなりあったと伝えられている。旧藩時代、たまたま藩吏などが探勝に来る度に、村人たちは多大の労力を強いられた、人々はその負担に堪えかねて、風土記にも、絵画図にも意図的に表さなかったと言う。安永4年(1775)の安永風土記にも、砂鉄川の記載はあるが、この渓谷については記載されていない。
猊鼻渓の周辺は、かつて赤松などの銘木の宝庫で、これを伐りだし筏に乗せて、砂鉄川から北上川へと流して運んだ。また馬産地でもあり、現在舟下りで使われている舟は、その首は平たく広い造りで、馬を乗り降りさせるための馬渡し舟から受け継がれたものである。