岩手県紫波郡紫波町桜町本町川原…志賀理和気神社境内

2012/05/16取材

 

志賀理和気神社の参道の古桜並木は、町指定の天然記念物になっており、ひときわ大きい桜樹は「南面の桜」と呼ばれている。この桜は、アズマヒガンの集団で、約三十本からなっている。このうちの最大木は、根元周約6.8m、目通周約4.5m、枝張は約10mある。樹齢は約5百年と推定され、岩手県下では最古の桜の木とされる。老齢の為枯枝が目立つが、なお樹勢はかなり良好である。

この木には次のような恋の伝説が伝えられている。

14世紀の初めころの南北朝時代のこと、罪を得て都からこの地に左遷された中納言藤原頼之という公家が、社前に粗末な庵を建て、寂しく暮らしていた。頼之は桜を植え、その寂しさを紛らわしており、里人は頼之を、桜町中納言とあがめ、誰というともなくこの辺りを桜町と呼んでいた。

ある年の桜の花の咲く頃、この地を治めていら大巻館の河村の殿様が、娘の桃香姫と供に参拝に訪れ、この地の桜の見事さに驚き、中納言頼之も加え、花見の宴を開いた。このとき父の求めに応じ、桃香姫は澄んだ声で歌い、優雅に舞った。その桃香姫の美しい姿と優しい歌声に頼之は心を惹かれ、桃香姫もまた頼之のりりしい気高さに心を動かし、やがて二人は相思相愛の仲となった。

それから幾月か後、都から罪が許されたとの知らせが届き、頼之は都へ帰ることとなった。頼之は、「桜の花が咲く頃に迎えに来る」と言い残し都に帰った。次の春が来て桜が咲いたが迎えも頼りもなく、また次の春が訪れ桜の花の咲く頃となった。桜の花がちらほらと咲き始めたのを見ると、それらの花は南の都の方角に向いて開いていた。

桃香姫は一日も早く迎えが来るように社に祈願を重ね、咲き匂う桜花に歌を詠んだ。

南面の 桜の花は 咲きにけり 都の麻呂に かくと告げばや

この歌は桃香姫の思いとともに都の藤原頼之の元に届き、頼之は涙を流し、翌年の桜の花が咲き始めるころ迎えに来たという。

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