岩手県久慈市長内町

2012/03/31取材

久慈市街地から小袖漁港への途中にある海食洞である。かつては、洞穴の天井から釣り鐘の形をした岩がぶら下がっていたことから「つりがね洞」と呼ばれるようになったと云う。夫婦が来世にいく際、この地で落ち合い、つり鐘を鳴らしてから極楽浄土にいくと言い伝えられていた。このつりがね洞に隣接した浜を、この地では浄土ヶ浜と呼んでいる。

明治29年(1896)、明治三陸地震による三陸大津波でこの「つりがね」は崩壊し、現在は空洞だけが残っている。平成23年(2011)の東日本大震災でも大きな津波に見舞われたが、このつりがね洞周辺の景観に大きな被害はなかった。毎年6月の夏至をはさんだ約3週間のみ、日の出の光がこの穴を通る。