岩手県譜代村第2地割

2012/04/01取材

東北地方では、北緯40度線は日本海側では男鹿半島の入道崎を通り、太平洋側ではこの黒崎の地を通っている。この地には北緯40度線のモニュメントが立っている。

そのモニュメントの脇に伊能忠敬の記念碑がある。江戸時代後期に全国を回り、正確な日本地図を作った忠敬一行が、測量の為この地を訪れたことから記念碑が建てられた。

享和元年(1801)7月、伊能忠敬は江戸を出発し、日本の東海岸の測量を行ないながら太平洋岸を北上、同年10月5日、この黒崎の地に到着し、緯度の計測を行なった。

北三陸の地は、100m前後の台地が崖をなして海に落ち込み、また殆どの川は西から東へ海岸線に直角に流れ、山と台地に深い谷を刻み、滝となって海に流れ落ちている。海岸線をたどる道は無く、忠敬一行は、坂越え谷越えの自然に逆らえない道筋を歩くしかなかったろう。

黒崎に到達した忠敬一行は、180mの高さから一気に海岸線に下り、黒崎村の金右衛門方に到着し、落ち着く間もなく夜間の天体観測の準備にとりかかった。測量日記には、「黒崎村九ツ頃着。止宿金右衛門。此夜晴天測量」と記載されている。