岩手県洋野町大野

2012/03/31取材

館跡は方形の三段階をなし、城域は南北約200m、東西約110mである。尾根を、幅約9m、深さ約5mの空堀が断ち切っており、その長さは約440mに及ぶ。館跡は私有地であるが、桜やつつじが植栽され、公園として開放されている。

この館跡の詳細はわかっていないが、「藩雑記」によれば、館主は大野弥五郎で、九戸の乱の際には、政実方に味方した。

この地方は、九戸方と南部方に二分されたと考えられるが、南部利直が呼び込んだ中央軍の大軍が侵攻してくると、九戸勢は、一戸の老ヶ館を一の木戸、浪打峠を二の木戸として防衛することとし、大野一族は浪打峠を守った。

中央軍は、兵を分けて、一隊を老ヶ館の背後の山に登らせ鉄砲を撃ちかけ攻撃した。九戸方はこれを支えきれず九戸城に撤退、また大野勢が守った浪打峠は、中央軍が峠を迂回したことにより肩すかしをくらい、九戸城に撤退した。

九戸方は九戸城に篭り頑強に抵抗し、中央軍は大きな犠牲を強いられた。このため中央軍は浅野長政らが謀り謀略により開城させ、九戸政実らを捕らえ斬首、兵たちは撫で斬りにされた。大野弥五郎はこのときの戦いで討ち死にしたと伝えられる。