岩手県洋野町有家

012/03/31取材

この地は、寛政5年(1793)、八戸藩が幕府の命により異国船警戒のために、大砲5門を備えた台場が置かれ、またその警備に当たった役人達がつめる陣屋が置かれた地である。

江戸時代末期には、この種市近海にも異国船が出没し、特に異国船打払令が出された文政8年(1825)には、この有家浦沖に現れ上陸の気配を見せた。このため八戸藩は鉄砲隊を派遣しこれを追い払った。

当時は、異国船が現れた場合は、篝火と狼煙によって順次八戸まで知らせることになっており、各所に狼煙台がおかれ、今も「ノロシ穴」が残っている。
>>