岩手県奥州市江刺区米里字大畑

震災前取材


 

種山ヶ原は最高所を物見山とし、なだらかに広がる標高600mから800mの高原である。

藩政時代には伊達藩直営の放牧地だった。明治維新以降は、近在農民の採草放牧地として自由に利用されていた。明治34年(1901)、軍馬補充部の種山出張所が、放牧地として4700haを経営、大正14年(1925)には世田米町営の放牧地として352haを利用、その他は国有林となった。その後も経営は変遷し、昭和24年(1949)、県営種山牧野 となったが、平成13年(2001)閉鎖された。

中心の物見山は、標高871mで、江刺市、住田町、遠野市にまたがる、南北20km、東西11kmの種山ヶ原の中心にある。眼下に北上盆地、西に栗駒山、焼石連峰、北に岩手山、早池峰山、東に五葉山、南に室根山と山並みが続く雄大な景観を見ることができる。

大正時代、この地を宮沢賢治が度々訪れ、「牧歌」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など、この地を人間世界と異界との境として扱った作品を多く残している。

またこの地には、次のような人首丸の伝説が伝えられている。

蝦夷の首領の悪路王とその弟大岳丸は、征夷大将軍の坂上田村麻呂によって討たれた。この大岳丸の子に、人首丸という美少年がいたが、人首川に沿ってさかのぼり、種山ヶ原の大森山に逃れた。人首丸は要塞を築いてたてこもったが、朝廷軍の田村阿波守兼光によって攻められ首を切られてしまった。兼光は大森山に堂を建て観音像を安置したと云う。

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