岩手県奥州市江刺区南町

震災前取材


 

多門寺は嘉祥3年(850)、慈覚大師の開基と伝えられるが、現在は廃寺となり、その跡に一堂のみが建つ。

平泉で藤原秀衡に討たれた義経は、実はその約一年前に平泉を脱出し、岩手県の三陸海岸沿いに蝦夷地に向かって逃げ延びたとの伝承が、義経北行伝説である。この地はその北行伝説の一つである。

その伝説によると、平泉を脱出した義経主従は、その途中にこの多聞寺に投宿し、その謝礼として鈴木三郎重家の「笈」を置いて去ったと伝えられている。この多聞寺は、明治5年(1872)の火災ですべてが灰になったため、今はその「笈」も見るすべもない。広い境内には「弁慶の腰掛の松」と名付けられた老松などもあったという。