震災前取材

岩手県一関市花泉町金沢字小沢田

 

金沢宿は、慶長4年(1609)に整備されたと伝えられる。街道の中央には堀溝が掘られ、清水が絶えず流れ、馬の飲み水や、防火、生活用水としても利用された。さらに並木なども植えられて景観を保つようにも工夫されていた。

天和2年(1682)田村藩成立後は、領地を三つの地域に分けて郡代が置かれ、一関大町、東山とともに、金沢にも大肝入会所が置かれ、六の日には市が開かれ賑わいを見せた。

芭蕉が通った時期には、一関にいくには金流れ川を徒歩で渡り、大槻を経て大門に出る一関街道が通常の道筋だった。しかし、芭蕉と曾良は、川越えが増水のため不可能となったため、大槻から日向に抜ける山越えの道を行ったらしい。合羽の中まで雨が通り難渋し、その日の夕暮れ時に一関に入った。

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