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福島県西会津町野沢大久保甲

2020/07/20取材

この大山祇神社は、創建は古く、奈良時代の宝亀九年(778)とされ、大山祇命、岩長比売命、木花開耶命の三神が祀られています。「一生に一度の願いは、三年続けてお詣りすれば、なじょな(どんな)願いも聞きなさる」と伝えられ、古くから信仰を集めている。

大山祇神社の創建については、以下のような由来譚が伝えられている。

この地を訪れた奈良県宇陀郡の真海法師は、弥作滝付近の地蔵屋敷という地に草庵を結び、ここで宝亀九年の二月、相模国三嶋大明神より、「現在本社のある宇陀帰山に、吾を勧請すべし」「城意を以って祈念する者は、一代に一回は必ず聞き召すべし」との神勅を受けた。

早速、不動滝で17間の沐浴斎戒の水行をなしたところ、満願の朝、滝上に大聖不動明王の姿が現れ「此の山の神霊を祈るものは、怪我あやまちなく守るべし」とのお告げがあった。真海法師は山を下リこのことを村人に語ったところ皆感激し、翌年の宝亀十年九月、大山祇神社の御遷宮を行ったと伝えられる。

この大山祇神社は、「一生に一度の願いは、三年続けてお参りすれば、なじょな(どんな)願いもかなえてくれる」とされ、会津地方のみならず、中通り・越後一円から多大な信仰を集め、例大祭は六月に一ヶ月続き、また初詣も前夜より多くの参拝者が参詣していたという。

この神社の祭神の一人の岩長比売神は、長寿の神であるが、醜女のために独身であったとされ、それで男女同伴の参拝者にはヤキモチを焼くといい、越後の同伴者のなかには、醜い容貌のオコゼ(虎魚) を奉納したという。しかしこれは、野沢の花街で精進落としを企む参詣者は、妻との同伴を断るのにこの俗信を利用したらしい。

大山祇神社は山麓の大久保には遥拝殿があり、道祖神が祀られている山道を上り、宇陀帰山八合目に本社がある。さらに上った山頂には奥の院の岩屋があるが、現在は通行が禁じられている。