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福島県柳津町柳津字諏訪町甲

震災前取材

  • 竹久夢二碑
竹久夢二は、昭和5年(1930)夏、46歳の時にこの柳津町を訪れ、若松の娘をモデルに境内の風景を数多くスケッチし、また魚渕でうぐいにえさを与えるところを詩に残した。

みちのくの めぐしをとめは 魚渕の
魚にうの花 購いにけり

夢二は、数多くの美人画を残し、その作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正浪漫を代表する画家である。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描き、文筆の分野でも詩、歌謡、童話など創作した。なかでも詩「宵待草」には曲が付けられ、大衆歌として流行し、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりとも言える。